ちょこっと歴史

坂出地名発祥

1603年頃、播磨国赤穂(現在の赤穂市)で塩づくりをしていた人たちが現在の坂出に移住し、遠浅の海に提を築いて塩浜を築き塩づくりを開始しました。製塩作業が活発になるにつれ、海沿いに一つの集落ができました。
ある日、これを見た隣の宇多津の人々が「田尾坂を出たところに、いつの間にか村ができている。」と驚き、人々に伝えたというのが、地名の由来といわれています。

田尾坂は、現在の県道高松丸亀線沿いの坂出市と宇多津町の境に存在する坂です。

塩の町 坂出を作った人 久米通賢

久米通賢(栄左衛門)は、1780年(安永9年)讃岐の東部にある馬宿(現在の東かがわ市引田町)で生まれました。

通賢は幼少のころから手先が器用で、作った粘土細工が殿様に献上されたほどでした。その才から,青年になると大阪に出て天文や算数などの学問を習得しました。

27歳のとき、父の死がきっかけで大阪から讃岐に戻ってきた通賢は、高松藩から讃岐の地図作成を命じられ、知識を生かしてみごとに40日で地図を完成させました。

その20年後、高松藩の財政が困窮していたことに対して通賢は、坂出の浜に大きな塩田を作ることを計画し、3年半後に坂出市北部に塩田(入り浜式塩田)を完成させて、結果として高松藩の財政を豊かにしました。

通賢が作ったこの塩田は「久米式塩田」と呼ばれ、効率的な塩づくりのための工夫が施されていたため、その後の塩田開発のモデルとなりました。