文安6年3月、願主藤原但馬守資重社殿造営の記録があるが、それ以前の古記録はない。

神功皇后征 韓の折、備前牛窓の海中で牛鬼を討ち、追って王越村木沢に御上陸、王越山を越えて宮山に登られました。 王越の名はこれより起こったそうです。

宮山で天神地祗を祭られ平戎と御安泰を祈ら ...

 

往古ここに高家首の一族が居住し、遠祖の天道根命を奉斎して氏神とした里人には森の宮とも奉称され 貞観9年従五位下を奉られています。 崇徳上皇葬送の途中、高家神社(高屋町)までくると、にわかに風雨が起こったので、葬送の列は いったん棺を大きい石の上に置きました。

国宝に指定されている神谷神社本殿。日本最古の神社建築。棟から向拝にかけて流れる三間社流造の屋根が日本の匠の美しさを感じられる。

四国霊場79番札所 高照院天皇寺
崇徳上皇の冥福を祈願して崇徳天皇社が建立され、天皇ゆかりの寺ということで「天皇寺」と呼 ばれるようになりました。現在は四国霊場第79番札所として多くの参拝客が訪れています。 崇徳上皇を祀る白峰宮に隣接し、元は白峰宮の神宮寺で本尊は十一面観世音菩薩、「天 ...

崇徳上皇を祀る神社、別名は明ノ宮(あかりのみや)。上皇が崩御した後、遺体を八十八場の清水に浸しておいたところ神光が輝いたこと から、二条天皇の宣旨を受け造営されたと伝えられます。同敷地内に天皇寺高照院があります。

鼓岡神社
鼓岡には讃留霊王(さるれいおう)の墓と云われている古墳があり、その前面には崇徳上皇を祀る 社殿があります。神社の傍らに建つ擬古堂(ぎこどう)は、崇徳上皇の行在所址にその御殿、木ノ 丸殿を模して大正2年に建てられたものです。 

石井天満宮

この地は南山とも云われ、国司菅原道真がたびたびここに遊んで、詩を作り、「管家文草」に収録 されています。中納言藤原家成がその古跡を偲び創祀したのがこの宮であるといわれています。

青海神社(煙ノ宮)

青海神社から山を登っていき、白峯山頂の稚児ヶ岳で火葬に付されました。火葬のとき、紫色の煙 がたなびいて、かたまりとなって谷底を動きませんでした。そこで、その地に社が建てられました。 それがふもとにある煙の宮と呼ばれる青海神社です。

厳島神社

天長2年の創祀。文永年間当地旱魃の際、当村松浦氏の祖先が芸州厳島の社頭より忌竹を持ち帰り雨を 祈ったところ、忽ち豪雨に恵まれたのみならずその竹が根を下ろし、年毎に繁茂したので、この地を 大藪といい、当社を大藪明神と称し尊崇をあつめました。

総社神社
平安時代、聖武天皇の命により諸国の国府の近くに総社が設けられました。 国中大小の神祇を祀って讃岐国総社と定められ後に総社明神と称されて天平以前にはすでに大社でした。

仁和2年(西暦886年)菅原道真公は讃岐守に任ぜられ当地へ赴任されました。ある年日照りが続き 池も涸れ村人が難儀していた折、道真公が城山に登り社にて雨乞いをされました。たちまち豊かな 雨に恵まれ村人は狂喜乱舞して菅公をこの地に迎えました。菅公の威徳をたたえ後にこの地に社を 建て黒岩天満宮としま ...

五色台白峰の山中に、四国八十八ヶ所第八十一番札所、綾松山洞林院白峯寺はあります。

1406年(応栄 13)に書かれた白峯縁起によると、創建はおよそ次のように説明されています。

平安時代初期(815 年)弘法大師が修行のためにこの白峰に登って、宝珠を埋めて閼伽井(あかい) ...