国司庁跡(讃岐国府跡)

大化の改新後、国ごとに設置された方五町の広さをもつ讃岐の国府跡で、古代讃岐の政治・文化の 中枢として機能しました。国司としても、紀夏井(きのなつい)・藤原保則(やすのり)・菅原道 真などの名国司が赴任して、多くの行跡を残しております。また、この地には、垣ノ内 ...

 

サギノクチ1号墳

本古墳は、東山・烏帽子山麓斜面に点在する十数基の横穴石室墳群中の一基で、その壁面に木ノ葉の線刻 画があるところから木ノ葉塚と呼んでいる。墳丘は、山ノ斜面から独立した円墳状に盛土され、径約10m・ 高さ2.8mである。南に開口した石室は、一 ...

当地方の有力豪族の墓と考えられる古墳後期(6世紀)の横穴式石室墳で、県内でも珍しい前室を もち、西方に口を開く巨石墳です。もとは径約20m程の円墳であったといわれ、出土の須恵器・ 耳環などは坂出市郷土資料館、鼓ヶ丘文庫に収蔵されています。

金山の麓から湧き出る夏なお冷たい冷泉は、野沢井ともいわれ、どんな日照りにも枯れないと言 われる霊泉。その昔讃留霊(さるれ)王が瀬戸内海を荒らす悪魚を退治しましたが、悪魚の毒に 倒れた兵士が、この水で88人蘇ったことから「八十八の水」と呼ばれるようになったという伝説 が残されています。また、崇徳 ...

 

天平13年(741年)聖武天皇の詔勅によって建立された讃岐国分寺・国分尼寺の瓦を焼いた窯跡です。 丘の斜面地下に階段状の焼成室をもつ古代の登り窯として数少ない遺構で、大正11年(1922年)に 国の史跡に指定されています。

ゆるぎ岩
聖通寺山の中腹の南にある大石。数トンもある大岩ですが、指一本で触れてもグラリと揺れる不 思議な岩です。花崗岩の裂け目が長い年月の風雨で分解され上下に分かれたもので、その接点 が少ないために弱い力でも揺らぐカラクリになっているそうです。

崇徳天皇陵

崇徳上皇のご遺体は白峯寺の西北の地で荼毘に付され、そこにみささぎをつくりました。これが 白峰御陵で、四国にある唯一の天皇陵として宮内庁が管理しています。天皇や皇后、上皇などの 墓所である御陵は、一般に京都や奈良など当時の都の近くに造られています。都から遠く離れた所 に造 ...

ハカリゴーロ(積石塚)古墳
金山の東南麓の丘陵頂上部に位置する。ハカリゴーロの名称は古墳の前方部がハカリに似ている ことと、この付近一帯に散布するサヌカイト石の集積をゴーロと呼ぶことに由来する。 ハカリゴーロは積石塚の前方後円墳で、金山に産出するサヌカイトを用いて墳丘を築いている。 前 ...

弘法寺古墳
昭和10年に畑を開墾中に発見された古墳で、棺内面を加工し、朱を塗布した三基の組み合わせ石棺が 南北方向に並置されていました。副葬品は異式内行花文鏡、勾玉などがあり、現在東京国立博物館に 所蔵されています。この近くの丘陵頂上部には、タイバイ山古墳・白砂古墳といった古式の前方後 ...

十三重の塔
白峯寺十三重塔は、白峯寺の入口の塔の峯の裾で旧阿弥陀堂の全面に建つ二基の十三重塔である。 東塔は「弘安元年」(1128)、西塔は「元享四」(1324)の刻銘がある。この塔は北の崇徳天皇 陵に相対しており、崇徳院菩提のために建立されたとの説があるが、詳らかではない。

開法寺塔跡
出土の瓦や塔の様式から、白鳳時代の寺跡と考えられ、県下でも最古の寺の一つとされています。 昭和45年に鐘つき堂と伝承のあった当地の調査が実施され、創建当初の礎石や塔基壇が発見されて 県下で最もよく旧態を残している塔址として県指定となっています。

史跡三十六(白峰合戦古戦場)
南北朝の争乱を著した「太平記」に「細川清氏討死ノ事附西長尾軍の事」の項に記される細川清氏 戦死の地と伝えられ、もとは松ヶ浦海岸であったと考えられるところである。正平17年(1362)南 朝方の将細川清氏は四国平定の命によって阿波・東讃を治め、白峰山麓高屋に ...